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2007.11.7

東京にだけ住んでいることは、幸せなのだろうか?

馬場正尊
 
実際、都心居住に少々飽きていた

基本的に都心の喧噪は好きだ。今住んでいる第一京浜沿いの部屋からは、車のライトの帯が見え、クラクションの音さえも聞こえてくる。窓から見えるネオンサインは24時間眠らない東京の象徴で、その膨大な記号の海のなかに身をゆだねて生活する感覚は快楽だった、少なくとも最近までは……。

がしかし、最近僕は少し疲れている。車が道路を揺らす振動が通低音のように体の中に流れ続け、悪いモノが体内に蓄積されるような感覚。身体のバランスが少しづつズレ始めていることに危機感を感じ始めていた。この生活がずっと続けられるはずはないだろう。と、そんなことを考える日々。


東京の夜景....。
ある日、ふと気が付いた「九十九里浜は近い?」

僕の部屋には地図帳が常備してある。中学校の社会の時間に使う、馴染みのあるあれだ。昔から地図を眺めてはその街の風景を空想するのが好きだった。だから地理は得意だったし、大学時代はバックパッカーで世界を歩いた。今でも現実から逃れたいときは、その地図帳を開く。

その日も同じようにふらりとページをめくると、そこは関東平野だった。もっとも身近なので、もっとも眺めないページ・・・。しかしこの日は偶然、東側のゆるやかな曲線部分に目が止まった。九十九里浜、改めて見ると東京からの距離が不気味に近い。イメージでは遠い遠い場所だったのに。

そういえば、東京R不動産の同僚Yが最近サーフィンを始め、九十九里へ通っていると話していた。僕は「まったくモノ好きだなあ、あんな遠いとこに」と気にも留めていなかったが。

それからしばらく、その小さな気づきは、記憶の底に眠ったままだった。

そして、房総への扉が開いた

リラックス不動産を始めたことで、いやおうなく房総に足を向けることになった。最初はどちらかというと、湘南や沖縄に目が向いていたのだがなにせ物件がない。沖縄はやはり遠い。そこで半ば強引にYに連れていかれたのが、今思えばそれが、房総への扉が開いた瞬間だった。

通ってみると、東京からは意外なほど近い。首都高に飛び乗って、京葉道路→千葉の東金道路→東金九十九里道路と上手に繋いでいけば、九十九里浜まで1時間半で着いてしまうのだ。地図をなぞると、ね、確かに近いでしょ。

ワイルドな空に、我を忘れる

九十九里浜が近づいてくると空気の質も変わる。高速の緩やかなカーブを曲がっていきなり広がる大きな海は、湘南のそれと違い、ワイルドで殺伐としている。明らかに表情が違うのだ。湘南が洗練されたやさしい海ならば、こっちはやんちゃな野性がまだ色濃く残っている。春先には人影もまばらで、冷たい風がピューピュー吹いていた。

にもかかわらず、平日なのにサーファーたちが

こいつらは一体何をしている人々なのだろう?

平日なのに海には適度に人がいる。波がいい日だったので、所々で白いしぶきを上げながら、サーファーたちは思い思いに波に乗っている。気温はまだ10度を少し超えたくらい。水の中はどんなだろう。ただ僕は、この風景を眺めながらからだの奥底から、子どものときに感じたことのある、言いようもないワクワク感が沸き上がっているのをうっすらと気が付いていた。

本能的でプリミティブな感情。そのときは、その感情があらゆる現実を押し流していくことになろうとは、知るよしもない。

それから数か月後、僕の房総への暴走が始まる。

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このブログについて

東京R不動産のディレクターでもある馬場正尊が、ふとしたきっかけから房総に土地を買い、家を建て、生活を始めるまでのストーリー。資金調達から家の設計、周辺の環境や人々との交流、サーフィンの上達? まで。彼の人生は些細な気づきから、大きくそれていくことになる。馬場家の東京都心と房総海辺の二拠点生活はこうして始まった。
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著者紹介

馬場正尊

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