それからの僕の生活は大変で、すべてリズムが狂い出した。妻が出ていったのと時期を合わせるかのようように、あらゆる家電製品が故障し始めた。今思えば結婚して9年、一斉に家電が寿命を迎えたのだと思うが、その時の僕には天からの罰のように思えた。
まず掃除機のモーターがおかしな音をたてて吸わなくなり、冷蔵庫がいつのまにか壊れてなかのモノを腐らせ、パソコンはフリーズしたままほとんどのデータが飛んだ。さらに電気シェーバーのガードがヒゲ剃り中に割れて、顔の一部を切ってしまった。
さらに追い打ちをかけるように、ゴールデンウィークが空けた5月6日には、当時、編集長としてつくっていた雑誌の出版元の会社が何の前触れもなく突然倒産し、支払われるはずだった制作費250万円が未払いになった。僕の生活は公私共々、ボロボロだった。
時は1999年、「ノストラダムスの予言した恐怖の大魔王は、馬場の上にだけ降りて来た」と、周りの友人たちからも揶揄されたものだ。僕はそれを受け入れるしかなく、ただおとなしく毎日を過ごすことに決めた。身を屈めて、頭を沈め、匍匐(ほふく)前進をしながら、この嵐のように荒れた日々をやり過ごすしかないと観念した。すべて自分が蒔いた種だ。それからの3年間、僕に空白の時期が訪れる。何をやってもうまくいかない。仕事でも結果が出ず、自転車に乗れば転倒し、外出をすれば鍵を忘れて閉め出され、プレゼンのときに限ってノートパソコンがフリーズした。