前触れはあった。
限界の信号は、ずっと出されていたのかもしれない。
僕らが30歳の春、妻が「離婚届」を、僕の前で静かに開いた。
「ここに名前を書いて」
こういう時、男はまたしても無力である。子どもができて結婚するときも、そして今度も、主導権は常に向こうにある。中目黒の大きめのワンルームに引っ越して来て3年後。とにかく僕らの生活は限界に達してしまった。さすがに、細かいことをここで書く訳にはいかないが(女遊びとかしました、すみません!)、その理由のひとつに、この家のプランがある。そのことは現在、妻とも話し合って、「あの間取りも、よくなかった」という認識で一致している。まあ、全体の20%くらいの要因で、あとはすべて僕が悪いんですけど・・・。
離婚届にサインをさせられた翌日。彼女はさっさと軽トラックを借りて、自分と子どもの荷物を積んで行ってしまった。僕は壊滅的な気持ちで、その引っ越しを手伝った。まるで自分の墓穴を、自分で掘っているようだ。バイバイ、と手を振りながら遠くに走り去っていく軽トラックを、暗澹たる気持ちで見送ったのを、今でも鮮明に覚えている。あのときはつらかった。一方の彼女の気分を数年後に聞いたのだが、中目黒から多摩に向かう高速道路は、まるで新しい生活への滑走路で、荒井由美の「中央フリーウェイ」をいつのまにかに口ずさんでいたらしい。
数日後、家庭裁判所から書類が送られて来た。彼女はものすごい手際の良さで離婚業務を遂行した。決断した女性は強い。改めて思い知った。