ペンション・ガジュマルのほど近く、太東ビーチの入口にはガストがある。朝8:00からやっているので、サーファー御用達。早朝から海に入って、ここで昼食をとってから東京に戻る、というスタイルはこのビーチの定番だ。
この日も「海辺のガスト」は陽に焼けた顔が席を占拠し、店内は独特の空気を醸し出している。
海から上がったばかりの空っぽになった頭なので、話題は当然のように非生産的なものになる。でも、ファミレスでダラダラと友人たちと過ごす時間は、なぜか決まってホンワカ幸せな気分だ。
海辺のファミレスって、なんとも言えない雰囲気があると思いません?
ちなみに葉山の海辺にはデニーズ、由比ケ浜にはすかいらーくがあるけれど、どこも流れている空気が似ている気がする。人を油断させてしまうような。
背後に控える、おおらかな海がそうさせるのか。
東京R不動産スタッフの最年長二人組で、この海辺のガストに寄ったときもそうだった。
40男がたそがれの時間に窓際の席に座り、僕らはお互いの過去について話した。告白した、という表現を使ってもいいかもしれない。
高校時代には弾け過ぎて有名私立進学校を中退したこと。
定時制に通いながら、そこでさまざまな種類の人生の存在を知ったこと。
生活のアテもないのに結婚し、向こうの親に切ったタンカの不条理さ。
生きるために怒濤のように働いた20代。そして、なぜ今、この場所にいるのか。
この人の背後には、かくも乱暴で豊かな経験が流れているのかを初めて知った。
どこかしら僕に似ている部分があって、妙に安心したのを覚えている。
檀一雄の話になった。
放蕩を続け、ポルトガルの散村サンタクルスに住んでみたり、晩年は博多湾に浮かぶ能古島に住んでみたり、とにかく無秩序で破滅的だが、しかし繊細で美しい生き方をした小説家。僕らは同種の憧憬を壇に持っていたことも判明した。
そして、重要なのは、
「生き方が文学的か、そうではないか」
ということで話がまとまった。
まあ、ここでそんな話がまとまっても、誰にも何の影響はないのだが・・・。とにかく二人が納得できれば、それでいいのだ。
海辺のガストは、人を素直にさせる。