いつもは京葉道路から続く東金九十九里有料道路を右旋回して一宮方面に向かっていた。
でも今日は気分を変えて左、片貝漁港の方へ向かってみた。
人影もまばらで、サーフィンか釣りなどの目的がないと、なかなか足を踏み入れないエリアかもしれない。僕らはあてもなく、なんとなく漁船が停泊する港を歩いた。季節外れの漁港の寂寥感がなんともいえない。
たまらない廃墟に出くわした。
意図性のないデザイン。でも左の壁を支えるトラスは微妙に傾き、屋根の勾配とバランスでマニアのツボに突き刺さる造形になっている。
しかし何なのだろう、機能を終えて、ただのオブジェと化した無造作な建物が与えるインパクトは。特に僕らの世代には響く。
しばし興奮し、廃墟のまわりをグルグル歩き回る。はたから見るとかなり怪しい行動であろう。
港を無目的に歩き回っていると腹が減っているのに気がついた。
しかし、誰もいないのに空いている店などあるのだろうか・・・。
そこに飛び込んできたのが、この看板だった。
発砲スチロールの箱に油性のペンで殴り書かれた「朝食」の文字、いや正確に表現すると「食朝」。風で飛ばないように石で重しがしてあるのが心憎い。
しかし周りにはそれらしき建物は見当たらない。一体、僕らはどこで朝食をとればいいのだろうか。
そこから探しまわること数十メートル。
発見した。
「大衆食堂」とだけ書かれ、店の名前もないアノニマスな食堂。ものすごいストイックさで、開いているのかどうかさえわからない。
勇気を持ってドアの引き戸に手を掛けた。ガラガラガラ・・・
入ってみてひと安心。間違いなくそこは大衆食堂だった。
じいちゃんが料理をつくり、ばあちゃんが注文を取る、完全なる組み合わせ。
まるで人の家に上がり込んで飯を食っているような気分になったが、うまかった。さすが漁港の隣の食堂。
房総には何の変哲もない、でも妙においしい店がたくさんある。そこが湘南との違いかな。
そして僕は、この殺伐とした寂寥感がどうも好きなのだ。
近くの片貝海岸に行ってみた。
寒いのにサーファーだけはしっかりいる。今日は平日ど真ん中。この人たちは一体、何をしているのだろうか?
片貝は、南の一宮や太東に比べて混んでいないような印象だった。