会社勤めを始めた僕の社交性は格段に上がった。
広告代理店という職種はいやおうなしに人との接触を求められる。僕は外では、ずいぶん明るい人間になっていった。慣れない業界で、多少無理はしていたと思う。しかしその反動で、家に帰ってきた後は、まるで昼間のコミュニケーションに疲れたかのように部屋に閉じこもっていた。
長年蓄積されて来た引きこもりの傾向は、そう簡単には治らないもののようだ。
しかも僕の部屋が玄関を入ってすぐ脇にあって、リビングを通過しないで個室に入る構造になっていた。広告代理店の仕事は激務な上に、少々生活がハデになっていた。いつの間にかに帰って来て、いつの間にかに家を出るような状況が続いていた。当然、家族のコミュニケーションは疎遠になっていく。やっと収入が安定し生活にゆとりが出て来たにもかかわらず、就職して3年後には馬場家には再びギクシャクとした空気が流れ始めた。
「思い切って、生活環境を変えてるべきだ」
ある日、どちらからともなく、そんなことを切り出した。
僕が引きこもらないように、いや、引きこもることが物理的にできないようにするために、大きなスタジオ型のワンルームに住んでみようということになったのだ。
会社に入って3年目。子どもが小学校に入学するタイミングを機会に、馬場家は多摩のマンションを引き払って、初めて都心に進出することにする。
選んだ街は中目黒。
今まで住んでいた多摩とは違い、渋谷や恵比寿からタクシーで2メーター程度。安定収入で楽になった生活、華やかな業界、そして極端に近くなった都心からの時間距離・・・。
新しい生活と初めての都心暮らしに、僕ら家族は舞い上がった。
その選択が、馬場家に決定的なダメージを与えるとは、そのときは知るよしもない、27歳の春。
中目黒のプラン。このプランが、馬場家を崩壊に向かわせた。